サブカル書店員(95万パワー)

ペストマスクに扮したオニドリルの剥製

マスターLv.139ですが、Fateが大嫌いです

現代の邦楽バンドでジョジョのスタンド名に起用するとすれば、「ポルカドットスティングレイ」以上におあつらえ向きなものってないんじゃないでしょうか。

 

 

どうも、とろろ粉です。

久々の更新です。

 

 

別段、理由はないです。

 

 

更新を再開した理由も、またブログが停止していた理由も、

 

 

別段、何もないです。

 

 

好きなときに書くのです。

 

 

       ・・・

 

 

Fateについて、色々と書いていきます。

 

 

いまやFGOを介して一大コンテンツにまでのぼりつめたFate。大晦日に特番を執りおこない、Twitterのトレンドを日々書き換えていく様にはただ感心するばかりです。

 

 

そんな拡大したFate文化、しかしFGOをプレイしていながらにして、SNの存在を知るユーザーは1割程度という話も聞いたことがあります。(確かこないだ星海社新書で型月の軌跡みたいな本が出ていて、それに載っていた気がします)

 

 

とろろ粉さんはめんどくさい原理主義オタクの血を宿してしまっているので、原作群は一通りプレイしています。

 

 

SN(レアルタ)、HA(PC版)、Zero(アニメ)の三種の神器は言わずもがな。

(Zeroが原作じゃないという指摘には何も返せないんですが、それもこれもufotableの完成度の高さが悪い。完全にアニメだけで満足してしまった)

 

 

最近では映像化もされた「Fate/Apocrypha」の原作小説、プリズマ☆イリヤ(1~4期、劇場版)、UC(格ゲー)、カニファンなどなど、多岐に亘るFate作品群の中でも、おおむね6割程度には目を通せているんじゃないでしょうか。Fakeとエルメロイもいつか読みたいです。

 

 

と、まあ、そんな風に流行り物に対してはある程度敏感な姿勢を示しているとろろ粉さんなわけですよ。

 

 

他の型月作品、月姫メルブラ、らっきょに対しても一定の知識はあるんですよ。

 

 

月箱、終末録音、character materialとかのプチプレミア品もちゃんと集めてるんです。

 

 

いかにも型月大好きなオタクって感じがします。我ながら、そう思います。

 

 

でも、でもですね。

 

 

Fate関連のコンテンツに目を通す度に思うんですけれど。

 

 

……いや本当自分でも、よく分からないんですけれど。

 

 

Fateコンテンツの基本理念が苦手というか、何というか。

 

 

端的に言って、Fateテイストが死ぬほど嫌いなんですよね。

 

 

       ・・・

 

 

じゃあ何でわざわざコンテンツを追いかけてるんだって話になりますよね、ええそうですよね。どんなツンデレなんだという声がありありと浮かびますよ、ええ。

 

 

ほんと、流行ったから。この一点に尽きると思います。

 

 

FGOの爆発的ヒットによって二次創作の畑が広がって、Twitterを開けば毎日新たなファンアートが流れてくる文化圏。そりゃ楽しさの持続性は凄まじいものです。

 

 

ガチャに新たなキャラが追加される度に半ばお祭り騒ぎになり、皆でわいのわいの、新キャラをいじくり倒す様は、素直に見ていて楽しいです。

(こないだの刑部姫とか)

 

 

ただ、その文化を十全に楽しむために本格的に作品知識を仕込み始めた次点で、気付いたんですよね。

 

 

「……ああ、自分って奈須きのこアレルギーなんだ……」

 

 

原点のSNからして、自分にとっては拒否反応のオンパレードなんですよね、あの作品。

 

 

いまや定番のFate節と言いますか、かの主人公衛宮士郎のパーソナリティにも見られる「徹底的な利他精神」。そこからエッセンスを抽出し、様々な派生作品にも現れる「不合理賛美主義」こそがFate一番の特徴であると、自分は感じますね。

(有り体に言うと、ジャイアントキリングや逆境への対峙がそれに当たります。演出としては熱いテンプレの一つなのですが、Fateの場合その塩梅がとても鼻についてしまう、という話です)

 

 

SNにおいては言わずもがな、主人公の士郎は狂気を孕んだ自己犠牲の積み重ねによって、様々な逆境を乗り越えていきます。

 

それが実を結びエンディングに至るまで彼は40回ほど分岐で死にます。そりゃ不合理の中に生きていれば当然の結末です。

 

士郎は自ら死地に飛び込んでいるという場面も多いので、尚のこと狂気が目立ちます。現に作中、まともな精神をしたヒロイン達から幾度となくたしなめられますが、所詮は攻略対象。彼女らはいずれ士郎マインドに侵され、Fateの理念に口を挟むことはなくなります。

 

ここで一つ注釈を挟んでおくなら、 士郎の歪んだ精神性が実を結ぶ(不合理賛美を自他共に受け容れる、まさにFate世界の真骨頂)のは幾多もの選択を乗り越えた末、ベストルートを辿った場合のみとなり、これは分岐を設けるノベルゲームの仕様上生じざるを得ない「全てが上手く運んだ場合の歪さ」とも言えるでしょう。

 

つまりこの作品においては士郎の歪さ、不合理さに対して「いくつものバッドエンド分岐」という「戒め」のファクターが用意されているわけです。

 

ので、まあ、多少は納得できます。

 

が、そこから爆発的ヒットを経て、ノベルゲーム媒体以外での作品発表が相次ぎましたね。

 

その派生作品がなまじ、奈須きのこのテイストを忠実に汲んでしまったのが、自分にとっては最大の不幸であったように思われます。

 

 

       ・・・

 

 

さて、作品を移して、かたやFate/Apocryphaではそのコンセプトがジークという一体のホムンクルス目線から描かれます。

 

聖杯大戦における魔力タンクとして生み出され、そこから自立する機会を得たジーク君が戦争に身を投じ、幾多の英霊と刃と言葉を交える中で成長していく、と言う話です。

 

そんなApoにおける主題は天草四郎(人類を救済したい!)とジャンヌ(私は聖人を名乗れるほど清らかではない。人類救済などおこがましい)という二人の聖人の思想的対立、またその狭間にいながら揺れ動くジーク君(どっちが正しいんだー!)の叙情詩といえます。

 

ですがこれも決して、ジークという存在意義の希薄な被造物が、独自の目線で中庸へと歩んでいく、などといった内容ではありません。

 

これまたFateらしい不合理が台頭するのです。

 

かいつまんで話すと、Fate/Apocryphaにおいてはラブコメ脳こそが正義。思い悩む美少年のジークにほだされたアストルフォとジャンヌには、まず凄まじいキャラ補正が付与されます。

 

最弱の英霊と謳われているはずのアストルフォは物語終盤で異様なまでの活躍を発揮しますし、元来設定上で理不尽極まりない強さを持つジャンヌに関しては、そもそも敵キャラクターをほとんど意に介さないレベルのパワーで描かれています。

 

言わずもがな、ジーク君自身も何かしらの大いなる意志(キャラ補正A+)により死んだり蘇ったり――それはまるでバッドエンドを繰り返しながらも不合理を着実に成就させていく士郎を見ているようで――そうして彼の旅路はまるで全て正解の選択肢を取ったギャルゲのように進んでいくわけですが。

 

そうしたキャラ補正3人組が他の英霊をバッタバッタとなぎ倒していく様は、まさに地獄と言えます。先の思想的対立に焦点を当てて言うのならば、思春期さながらのジーク、発情期さながらのジャンヌ&アストルフォ(ジーク君しゅきしゅき♡)に、確固たる信念を持った英霊たちが蹂躙されていくわけですね。

 

勿論、この3人に信念がないとは言いません。

(ジーク君の辿々しくも悩み抜く様は、主人公としてはうってつけでしょう。ジャンヌは天草の提唱する理想論に心が揺れ動きもしますが、その主義主張自体は比較的堅実であり、そこには好感が持てます。そしてアストルフォはアホです)

 

しかし、こと英霊同士の、ひいては偉人同士のぶつかり合いを主眼としたFateのテーマにおいて、カリスマの感じられないキャラが幅を利かせているというのは、自分としてはこのましくありません。

 

自分がFateというスーパー偉人大戦(誰かに怒られそうな表現)に期待している部分はそこであって、既に確立された思想(カリスマ)同士の衝突が一番好きなんですよね。

(Zeroでいう聖杯問答とか。やはり虚淵の安心感が凄い)

 

史実に名を残し、往生を遂げた傑物が死後にどこぞの誰かに感化されるだなんて、そんな場面は見たくないんですよね。それがましてや、ぽっと出の人口生命体の思春期マインドにそそのかされたとあっては、モヤモヤが尽きません。

 

まあ、そんなこんなで、Fateのそういう「思想的対立において、英霊とその他キャラクターに隔たりがない部分」や「ジャイアントキリングや大逆転展開の皮を被った自殺志願マインド、またそれを支持する世界観」などを総合して、不合理賛美主義と表現してみた次第です。

(正直ApocryphaFateの中でも図抜けて嫌いなので、妙に文章が弾んでしまいました。結構所感を省いているところもあるので、細かいあれこれはまたいつかの機会に記事にしてみたいですね)

 

       ・・・

 

こうして雑にまとめましたが、結局の所、バランス意識が過剰に働いてしまっているんだと思います。どの作品でも超えてほしくない一線、決壊してほしくないパワーバランスというのはあることかと思いますが、自分にとってFateはその辺をずけずけと踏み荒らしてくるイメージなのです。

 

烈火の炎で土門が異常に強いように、

 

シャーマンキングでチョコラブが意味不明な実力を持ったように、

 

FAIRY TAILが何から何までしっちゃかめっちゃかなように。

 

そういった自分の中のNG部分をマストとして据えるFateコンテンツを、心の底から楽しめる日は来ないのだろうなと思いながら、今日もバニヤンスパルタクスエレナの周回PTで宝物庫を回るのです。

サブカルクソオタク日記(著、紀オタ之)

男もすなるブログといふものを、ノーリスクの性転換薬を服用した後にしてみむとてするなり。

 

 

 

 

どうも、とろろ粉です。

 

 

 

こう書いて読み方は「とろろこ」なんですが、登録時にメールアドレスを間違えてしまって「tororo_ko」のIDを潰してしまった為、やむをえず「tororo_kona」でのスタートとなってしまいました。

 

そういった意味でも、自分はとろろ子にはなれないようです。

 

 

 

 

 

さて、そんなことはさておき。

 

このブログですが、最初に趣旨や方向性をお話ししますと、そういったものは別段設けておりません。

 

その名の通りサブカルチャーについてああだこうだと書いていくだけになります。

 

よって、そこかしこに偏在する十把一絡げのアニメブログじみたものになるかとは思いますが、それでも読んでいて「趣味が合うな」「波長が合うな」「性癖が合うな」などのシンパシーのようなものを感じ取ってもらえたのなら、以降も目を通していただけると幸いです。

 

ちなみに筆者の性癖の最たるものには「蓮コラ」があります。

(※検索は自己責任でお願いします)

 

どなたか制作技術のある方がいらっしゃれば、ご一報ください。

 

 

 

 

 

話を戻しますと、そうですね。

 

タイトルと冒頭にもあるように、性転換ジャンルについてのお話をしましょう。

 

らんま1/2」(筆者は全くもって健全なのでシャンプーが好きです)とかが、やっぱり金字塔に当たるんでしょうか。

 

…………こう。

 

いざ、挙げてみようとなると、意外と浮かばないものですね、純粋な性転換って。

(検索してみたらけんぷファーと俺ツイがありました。どちらも名前しか知らない)

 

女装ジャンルなら割と多いんですが……まりほり、國崎出雲、黒執事ひめゴトと、これならまあ、まだ浮かびます。

 

そんなわけで、ここは一つビッグネームのご威光に肖ろうと思います。

 

そう、今や誰もが知る「君の名は。」の話です。

 

 

「性転換」界に名を刻んだといっても過言ではない、

新海誠の生んだ大ヒット作「君の名は。」。

 

自分の作品知識の狭さに行き詰まったところで、この超有名作にすがっていこうと思います。

 

 

 


本作はいまやメガヒット級。


その波は有象無象のオタクにとどまらず一般人にまで、いまやテレビ媒体でも頻繁に名を聞く話題作として世間を騒がせています。


その内容は、かつては「秒速5センチメートル」などの視聴者を選ぶ(自分は見事にふるい落とされました)意欲作で知られていた新海誠監督が生んだ、まさにエンターテイメントの一言に尽きる傑作。


元々評価されていた映像美もさることながら、爽快感のあるSFストーリーの展開にも目を見張るものがあります。

 

ただそのヒットの大きさゆえに一般層からは、映画内に散見するいわゆる「オタク文法」のようなものに対しての批判意見がちらほらと聞こえてきたりも。
(作中における口噛酒への認識とかに苦言を呈してる人もいましたね)

 

これに関してはTwitterの方で見た「オタクの誕生日パーティにウェイのクラスメイトが押しかけてきてしまってオタク本来の気持ち悪いノリを出せなくなった」という例えがとても的を得ていて好きでした。

 

まあ実際、気持ち悪いものは事実気持ち悪いのであって、そういった文化に馴染みのない方々からのバッシングはごもっともです。


批判というよりこの場合は順当な生理的嫌悪といった方が近いですかね。

 

       ・・・

 

……タイトル回収も終えた辺りで何か作品について語ろうかとも思ったんですが、自分があの映画に感じたことといえば純粋なエンターテイメントとしての面白さくらいなので、特に語るようなことがありません。

 

というか1回しか見てないので、そんな輩が知った風に書いた記事なんて大して深みも出ないでしょうし、やっぱり内容について書くことはありません。

 

掘り下げるとすれば先にも挙げた「ヒットしすぎたが故のジレンマ」とかがテーマとして面白そうですが、今回は批評記事を書く為にパソコンを開いたわけではないので、それもまたいまいち気が乗りません。

 

元々そういう考察記事とかが好きな類の人間なので、これから先そういった記事を書く機会は確実に来ると思います。

 

というかそういうことがしたい為にブログ始めた節があります。

 

じゃあ何故に今書かないのかと言われたら。

 

 

 

 うーん。

 

 

 

そんなに深い理由はないです。

 

ではまた、いずれ。

 

 


これは余談なんですが、らんまといえばOPテーマ「じゃじゃ馬にさせないで」を阿澄佳奈さんがカバーしてらして、それがとてもかわいらしくて幸せになれるので、ぜひ聴いてみてください